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      東京一極集中について、一小市民たる私の独自の視点で描きます。(全4回シリーズ)



 2018年 1月



 東京一極集中を考える (第1回)  
〜東京偏重の世へ一石〜


 
 

 まずは小噺から

 こんな話を聞いたことがあります。

 Aさんが車を運転していました。渋滞でノロノロ。なかなか進みません。
 「なんでこんな混んでいるんだ!」
 Aさんはイライラ。
 すると助手席のBさんはこう言いました。
 「なんで混んでいるかって、我々が車に乗っているからですよ・・・」

 Aさんは自身の車1台分、渋滞に拍車をかけており、自業自得だ、というのが一応は話のオチのようです。
 そう言われても、Aさんは目的地へ車で行きたいのでしょうし仕方がないかな、とか、他に交通手段がなければどうなのかな、とか色々考えつつ、でもAさんが車を運転していなければ、わずかながらも、その1台分、道が空く訳で。確かに言われてみればそうかな、とも思います。
 選挙の1票みたいなもので、自分の1票は投じようと投じまいと、その1票で候補者の当落結果に全く影響はなく、意味なさげですが、それでもその1票の集合体となると意味を成し当落を決する訳で、渋滞でも同じようなものですかね。渋滞時には 「なんでこんな混んでいるんだ」 と皆同じ思いでしょうし、その一方でそれら11台が積もり積もっての渋滞であり、バカにできない話かもしれません。
 人間のやっていることは万事につけこんな調子なのかもしれません。人はいつも被害者的意識を持ちがちですが、同時に加害者側の立場にも立っているのかなあ、と。それの総体として社会があるのかなあ、と。そんな示唆に富んだ話かなと思って聞いていました。
 この話に特段の答えはないのでしょうが、思案のしどころです。皆さんはどうお考えでしょうか。

 
 

 

 
 
旅の話 1  鉄道「乗りつぶし」

 1年余り前(201611月)、JR北海道のニュースが大きく全国に報道されました。「全路線の半分が維持困難」 というものでした。本線も含めて大ナタを振るわざるを得ない、という内容で、難航するでしょうが2019年度内には関係各所と合意形成を目指す、ということでした。
 この報道には 「いよいよきたか」 と思わずにはおれませんでした。広大な大地に希薄な人口、厳しい気象条件、1987年の分社化当時からずっと苦しい経営環境にあり、そこへ道路網整備と高速バスの台頭、更に人口が減る一方では、どんなに頑張ろうと、残念至極ですがもはや万策尽きたか、そんな感があります。日本は人口減少社会となり、この北海道を皮切りに、これから同様の話が全国各地に続々出てくるのは必至です。(先月、JR九州からも会社発足以来初の大幅減便のニュースが出ていました。)
 今、地方の人口減や疲弊はとにかく凄まじいものがあり、もはや隠しきれなくなってきています。

 このニュースを見て、20代の頃、日本全国しらみつぶしに鉄道の全路線に乗る、という 「乗りつぶし」 をしていた頃を思い出しました。当時すでに国鉄からJRに民営化され、特に北海道では多くの路線が廃止された後でしたので、残った路線は骨格だけとなっていましたが、それでもまだまだかなり長大で、全道各地への路線網が敷かれていました。
 北海道のJR線は、札幌都市圏を除き、普通列車は基本的にどこも数時間に1本です。室蘭線の苫小牧付近等、1時間に1本位のエリアなら 「便利だな」 と感じたものです。
 定番の、普通列車乗り放題 「青春18きっぷ」 はもちろんですが、当時、指定エリア内は特急も乗り放題で格安の 「周遊券」 という切符があり、北海道の乗りつぶしもこの切符を使っていました(今も似たのはありますが周遊券の方がはるかに使い勝手が良かった)。
 

JRの乗りつぶしでは、よく
周遊券を使っていました。
これは、1996(H8)年12月
の、北海道の周遊券です。


 そして、当時はまだ、札幌発で全道各地へ向けて座席車の夜行列車が走っており、それで連日宿代を浮かせて距離も稼いだものです。大学2年だった1996年当時では、稚内へ急行利尻、網走へ特急オホーツク、釧路へは特急おおぞら、函館へはカーペットカー連結の快速ミッドナイト、青森へ急行はまなす、があり、周遊券で全部自由に乗れました(「はまなす」 は北海道への行き帰りで乗れた)。その他にも、本州からの寝台列車もありました。今よりはまだ賑々しかった、そして夜通し走っていた、あの頃の鉄道風景が頭に浮かびます。

 あれから20年余り。北海道の人口流出はひどく、過疎は更に進行し、今、それら夜行は、1本も残らず全てなくなりました。列車本数も更に減少し、路線も、乗りつぶしを始めた1995年当時はまだあった、JR深名線・江差線・留萌線(留萌―増毛間)、北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線は、現時点で、もう既にありません。
 

 
 
 

 「乗りつぶし」のきっかけ

 元々、何かにつけ日本全体を覆う「東京東京」という風潮に、子供心に疑問に思っていたのがきっかけでした。テレビをつけても、新聞を開いても、本を読んでも、上も下も右も左も何もかもが東京東京で、子供が毎日使う学校の教科書の最大手の出版社まで東京を冠した企業名で、生まれながらに東京が頭に刷り込まれる社会に、これは一体何なのかなと感じていました。そのことを疑問に感じている人は、周りでほぼいないようでしたし、それどころかその気風に乗って 「自身もいずれは東京」 みたいな、そんな人が大半だったと思います。あらゆる権能や富を東京に集めに集め、そんな世で、多くの人々がそう思うのも、致し方ないことかもしれません。

 当時はそんな深刻に思っていた訳でもなく 「まあ、そんなもんかなあ」 位に思っていました。日本の人口はとても多く、ほぼ無尽蔵だから、どんなに地方から東京へ人が出て行っても 「別にいいのか」 位の感じでした。ただ、こんな調子では、いずれ社会が大変なことになりはしないか、というような気も、うっすらしていましたが。
 しかし、それにより 「田舎は衰退を強いられ東京が栄えるのが当たり前」 であるかのような風潮には違和感はありました。はじめから、廃れる地域と発展する地域が固定されており、その立場をずっと強いられるのが当然、であるかのような、なんとも言えない理不尽さ、ですかね。
 とにかく、私は当時から地理的なことが好きでしたので、地図やその統計はよく見ていましたが「国土の発展の仕方がいびつかな」 とは思ってはいました。


 そんな世の中ですから、以後も、とにかく人は皆東京に行きたがり、ひたすら地方から東京へと人口が移動し続けました。そして人々は東京に出て社会の全てを知ったつもりになるのか、いつしか謙虚さも失われ、高所から地方を見下ろし論評するようになります。そして何か言えば、田舎は無駄だ無駄だ。まるで東京という一を知って十語るがの如く。
 そのような人物像を数々見てきて、東京もいいですが、とりあえず自分は、東京だけで全てを語るのではなく、日本の隅々まで見て回ろうか、と何となく思っていました。

 そんな折、当時所属していた大学の旅行のサークルで、旅客営業している日本の鉄道の全路線に乗る 「乗りつぶし」 という趣味があることを知り、それなら、その乗りつぶしを兼ねて全国を見て回れるし、やろうと決めました。大学1年だった1995年です。それが鉄道の旅のスタートといいますか、思索の旅のスタートといいますか。これなら明確な目標があってやりやすいですし、自然と全国津々浦々回れる点に魅力を感じました。

 ちなみに、1999年の大晦日に、JR津軽線の三厩(みんまや)駅(青森県)で、JR全線のゴールとなりました。その後、その他鉄道線も乗り進めていき、2007年秋、十和田観光電鉄の十和田市駅(青森県)で、日本の全鉄道路線の完乗となりました。尚、その十和田観光電鉄の鉄道線も廃線となり、今はもうありません。

 乗りつぶしの話をしだしたら止まらなくなって脱線しすぎますので、これで終ります。



    

 旅の話 2  自転車

 
 20代の頃、自転車の旅もしていました。              
 色々思うところがあり、27歳の時(2003年)、オーストラリア大陸横断に行きました。東海岸のシドニーから西海岸のパースまで。2月下旬〜4月中旬にかけてで、南半球ですので夏から秋に変わる時節でした。
 
 シドニーの空港に着き、まず思ったことは 「なんでこんなことやろうと思ったかなあ・・・」 でした。途方に暮れつつ、まずは自転車で空港を脱出して本屋を探して地図を買う、その日の宿を探す、そんなところからスタートしました。仕事も辞めて、大げさですが退路を断って来ていましたし、無為な旅行で終らせる訳にはいかず、この先の人生に何かを得ないと、そんな思いだけでした。
 当時私はまだネット環境になく、情報はほぼ皆無でした。携帯電話も持参せず、地図すらないのに行き(日本の出版社のオーストラリアのガイドブックだけはあった)、無謀なことをやっていたなと思う一方、何も分からないが故に日々発見で、逆に今の世であれば味わえなかったある種の楽しさもあったとも思います。
 
 当初は盗難などもあり散々でしたが、次第にこの先の旅の方向性も定まり、45日程で大分軌道に乗っていきました。
 (自転車で大陸を横断する気満々でシドニーを出発するも、数日で早々に到底無理だと分かり、現実路線にシフト。とりあえずできるだけ大陸の半分近くまでは自転車で自走し、残りは大陸横断鉄道で渡ると決めた。)

 
 
主に、大陸を外周する国道1号を日々自転車で走っていました。舗装はされていますが、道路設備は必ずしも立派とは言えない感じでした。対比で、日本という国は、狭い国土に沢山の人がいて、だから交通インフラも充実できるのだなあ、と感じることしきりでした。日本ではトンネルも橋もあちこちに当たり前のようにありますから。オーストラリアは先進国ながらも、広大な国土にわずか2千万人(当時)しかおらず、1kuたりの人口密度は、なんとたったの3人です。日本は、一番希薄な北海道でも67人もいます。
 
 
例えば、シドニー 〜 メルボルン間は、海沿いに国道1号プリンセスハイウェイで約1100km程(日本海回りで大阪〜青森程)ありましたが、トンネルはどのくらいあったと思いますか?地形的には、グレートディバイディング山脈という山並みが海沿いに走り、そこを行きますので、山がちな日本と似ていました。険しくはないのですが、特にはじめの500q程は地形に沿ってアップダウンが続き、とにかくきつかったです。
 そのような所なのに、トンネルですが、何と、途中1箇所もありませんでした。1100qで1箇所も、ですよ。おそらく広大な国土にわずかな人口ですから、国内2大都市を結ぶ道路でも、なかなか経済的にもトンネルを掘ることができないのだろうなあ、そう考えながら走っていました。
 (ちなみに車なら、シドニー 〜 メルボルンは、この遠回りな海沿いのルートではなく、山越えで短絡するのがメインルートですので、この道を走ることはまずないと思います。なのでこの道は整備がやや後回しなのかもしれません。)
 
 尚、その後、メルボルンから先も1100q程ありましたが、なだらかな高低差もありつつ、ひたすら広大な平地が続きましたので、普通にトンネルはありませんでした。
 
 信号もほとんどなく、交差点はロータリー方式が多かったです。交通量の少なさもありますが、電気などを引っ張ってきたりするのも大変なんだろうなあ、と想像していました。

 

 道路から見える、近くや遠くに列車が走る風景なども、日本なら田舎の方でも普通の光景ですが、向こうでは、線路自体はあることもありましたが、走っている姿はほとんど見かけませんでした。稀に、貨物列車が走っているのを見た位でしょうか。
 普通に人を運ぶ旅客列車に至っては、まずお目にかかりませんでした。ごく稀に、昼夜通して長距離を走るのであろう、長大編成の列車を見た位です。実際、駅らしき所に立ち寄り時刻表を見ると、旅客列車は、週に何本か走っているだけでした。1日に、じゃないですよ。週に、ですよ。その位稀です。(要はその駅は、日常の足としての鉄道は走っておらず、長距離列車だけが週に何便か止まるのみ。)
 よほど大都市近郊までやってきてはじめて、小編成の列車がたまに走っているのを見かけたくらいです。(もちろん大都市の中なら、地下鉄や近郊列車、トラム等が走り、それなりに便利。)
 日本の鉄道風景も、現在の人口動態が続くようなら、ジワジワとこうなっていくのかもしれません。
 逆にオーストラリアは、かつて特殊な政策をしていたこともあって 「人口はほとんど増えない国」 と学生時代理解していましたが、近年は突如ものすごく人口が増えていてビックリします(2500万人に迫る勢い)。鉄道も活発になるでしょう。

  
 ちなみに、約2ヶ月のタイムリミットがあり、結局、自転車では大陸の半分弱しか走れなかったのですが、それでも、寄り道もしながら、シドニー 〜 メルボルン 〜 アデレード 〜 ポートオーガスタの約2200q(※実走距離は2324q)、暑い時期のオーストラリアで真っ黒になりながら、日々無人の荒野を走りました。
 ポートオーガスタは小さな町ですが、大陸の交通の要衝です。日本だと米原みたいな感じでしょうか。
 「無人の荒野」と書きましたが、ここまでは、それでも数十kmおきに小さな町はありましたし、まだマシな方です。ここから先は、気候も厳しくなり、西へも北へも、本当の無人地帯になります。私は「にわか」ですが、本物の自転車乗りの人は、水・食料等の重装備を携えこの先も行きます。

  
 
その後は、ポートオーガスタに一旦自転車を置いて、バスで内陸に向かいエアーズロックに行ったりしました。
 1週間程でポートオーガスタに戻り、大陸の残り半分2400キロ・インド洋に面したパースへは大陸横断鉄道に乗って渡り、一応豪州大陸横断の目的は完遂しました。
 弊所サイトのトップ画面にある写真は、この時に撮った、ゴール地点と定めたスワン川越しに眺めたパースの街並みです。
 
                   

 

 これは旅行記ではありませんので、地図まで載せたりするのはやめました。なので分かりにくいかもしれないですが、興味がある方はネットで見て下さい。また、旅の想い出などを書くのも極力控えましたが、ちょっとだけ余話を書きます。
 
 今回これを書くにあたって何枚か写真を載せようと思い、十数年振りに写真を見返していたのですが、いい写真をいっぱい撮ったつもりでいたのに、ろくな写真がなくてがっかりしました。写真って撮ってる時は 「いいの撮ったな」 と満足でも、後から見返すと 「何これ」 って結構多いですね。
 メルボルンとアデレードでは、日中も何枚も撮ってたのですが、人が多くて1人の写真にできなかったので、これは、翌日早起きして、まだ人がほとんどいないかなり早朝、出発前に撮りました。街中で景色を独占できました。まあ、どうでもいいですが。

 
 シドニーがあるのがニューサウスウェールズ州、メルボルンはヴィクトリア州、アデレードやポートオーガスタがあるのが南オーストラリア州で、3つの州を走りました。広い国ですので時差があり、ヴィクトリア州から南オーストラリア州に入った時に、時差の境目を経験しました!(時間が30分戻った)
 そして面白いのが、その州境を越えた数日後、今度はサマータイム(オーストラリアでは広い地域で実施されていて夏場等は1時間早くなる)の終了で、また時間のズレを経験しました。秋だったのでサマータイムがちょうど終わる時で、ある日朝6時頃起きて宿でテレビをつけると、いつもと様子が違い、少したってから今日から通常時間に戻ったことに気付き、朝6時台を2回過ごすという不思議な体験をしました。

 
 (ちなみに、帰国後、ひょんなことで行政書士という職業を知り、旅のファイトが生きたか翌2004年の試験に合格し、その翌年の2005年に開業、今に至っています。「遠方からの出張依頼も歓迎」という、声がかかればどこでも出向く独特のビジネススタイルは、このような旅好きな私特有のものだと思います。もっとも、そんなことより業務の有能さで際立つ方がいいに決まってますが。)



シドニー オペラハウス 出発


国道1号プリンセスハイウェイ。
シドニーの南の郊外まで来た。
当面の目標メルボルンまで1035km。
日本では絶対にお目にかかれない4ケタのキロ表示。(オーストラリアの道路看板は緑色です。距離の単位「km」や、車両の左側通行は、日本と同じです。)



上って下って 上って下って・・・


メルボルン  メルボルンパーク 
街の中心を流れるヤラ川、奥には中心街Cityのビル群が見える。 
対岸も公園が広がる(キングス・ドメイン)。 
かつてのメルボルン五輪の会場もそば。
そして、テニスで有名な、あの全豪オープンの会場も、このすぐ右隣にある。

皆さん!全豪オープンはシドニーではなくメルボルンでやってるんですよ!全てが東京でなくてはならんと思い込んでいる
日本人の感覚と、世界標準は違う!!


3つ目の州、南オーストラリア州に入った。ここで30分時差が生じる。


アデレード  ヴィクトリア・スクエア


アデレードを過ぎると、更に人口は希薄になる。ひたすら無人の大地。


シドニー出発から36日目、自転車最後の町・ポートオーガスタ到着!




 交通至便な日本 

  
 豪州大陸横断の7年前、大学2年(1996年)の夏に、北海道を自転車で一周しました。実走距離はオーストラリアの時とほぼ同じ2284kmでしたが、日数は2週間以上も短い20日間で走りました。元気だったなと思います。
 本州と比べれば無人地帯は多いものの、それでもちょくちょく人里は現れますし、コンビニ 「セイコーマート」 もしばしば登場し、買い物も困らなかったです。北海道を 「人がおらず熊しか・・・」 などと揶揄する人もいますが、私には十分便利で快適に感じました。

 そして、無人のオーストラリア大陸を日々走った後の、今の私の印象で言えば、その北海道でさえも 「密だな」 という感覚です。
 北海道の鉄道は、数時間に1本の路線が多いですが、それとて私には「密」に映ります。大体、全道各地に路線があること自体がすごいと思いますし、まして毎日たとえ数本でも普通に旅客列車が走っていることのすごさ。日本という国は、なんて過密で恵まれているなあ、と感じます。よく 「1時間に1本しか走ってないような田舎は・・・」 などと聞きますが、それとて私には、とんでもない利便だと感じる訳です。

 人口の偏りが進み、東京や大都市中心の見方が世の全てであるかのような思考が幅をきかす中、こういう見方もあり、日本は交通面でもものすごく満たされた利便の中にある、ということを再認識してもらいたく、書いてみました。

                                                  つ づ く